今週のお題「クリスマス」
こんばんは、もち太郎です。皆さん、メリークリスマスですね。
聖夜を楽しんでおられるでしょうか。
今週のお題は「クリスマス」ということで、僕のクリスマスに関する思い出を書きたいと思います。
あれは僕がまだ小学校に入学する前、5歳の時のことでした。
ずっと入院していた父方の祖父が亡くなりました。
まだ60代、死因は肺がんでした。
僕には祖父の記憶が数えるくらいしかありません。
長年中学校の教員を務め、校長職まで就いたと言われる祖父はとても厳格で、家人だけでなく兄弟や親戚はおろか、近所の人や嘗ての教え子にまで厳しく接したと聞きます。
親戚のお兄さんは、高校受験の時に祖父に家庭教師をして貰ったそうですが、あまりの厳しさに「もう二度と頼みたくない」と漏らしていました。
そんな祖父ですが、やはり孫には甘いのでしょうか。
僕にはとても優しかった記憶しかありません。祖父の厳しい一面を知ったのは何年も経ってからで、自分の全く知らない祖父の顔に驚いた覚えがあります。
僕が積み木遊びをしていた時、栗やミカンを投げて積み木で作ったお城を崩し、ゲラゲラ笑う祖父。
僕を助手席に乗せてドライブに出掛ける祖父。
僕が自転車に乗れるよう特訓してくれた祖父。
書斎にあるレコードプレーヤーで、『ウルトラマン』の主題歌のレコードを聴かせてくれた祖父。
僕がはっきり覚えている記憶はそれくらいしかありませんが、いずれもニコニコしている祖父の顔しか浮かんできません。
「好々爺」という言葉を体現するような、優しいおじいちゃんでした。
いや…正確にはただ一度だけ、祖父に怒られたことがあります。
それは正に、祖父が亡くなる年。僕が5歳になった年のこと。
祖父に二人目の孫が出来ました。僕にとっては弟です。僕はお兄ちゃんになりました。
弟が生まれたと聞くや否や、祖父は僕を車に乗せて病院まで一目散に向かいました。
道すがら、「名前、何にすんべな」「おめえもあんちゃんになるんだから、しっかりしなきゃ駄目だぞ」と祖父に話し掛けられました。いつもと同じニコニコ顔の祖父。
祖父の表情が険しく、そして厳しい声が僕に向かって飛んできたのは、病院の前の道に車を停めた時でした。
駐車場に停める前に、僕に先に病院に入らせようとした祖父は、車道の隅に車を停めました。僕は早く弟の顔を見たくて、助手席のドアを開けるなり、車の往来も確認せずに車道に飛び出しました。
その時…
「このでれすけ野郎、轢かれたらどうすんだっ!!!」
今まで聞いたことのない、祖父の厳しい声が飛んできました。
それが僕に向けて放たれた言葉だと気づくのに、数秒かかった程です。
祖父は険しい顔をして、茫然と車道に突っ立った僕の手を引きました。
「周りも見ねえで道路に飛び出す奴があるか!轢かれたら弟にも会えねえんだぞ!」
険しい顔で怒鳴られた後に、頭にげんこつが落ちました。
僕は痛みと祖父の剣幕に気圧され、弟の顔を見るどころでは無くなりました。
その後どんなやり取りをしたのか覚えていませんが、怒った祖父の顔が強烈で忘れられません。
『ドラえもん』ののび太誕生を描いたストーリー「ぼくの生まれた日」も、上記のエピソードのせいで未だに見られません(笑)
僕が何をしても怒らなかった祖父が、あの時だけは鬼の形相を見せたのには訳があります。小さい頃、祖父の弟が車道に飛び出して軽トラに撥ねられたのです。
幸い命は助かり、晩年には轢かれた本人も笑い話にする程でしたが、祖父はずっと弟が轢かれたことを気に掛けていたのでしょう。ましてや僕はこれから兄になって、弟を守っていかなければいけないのに、その本人が不注意で轢かれるとは何事だ!と思ったのでしょうね。
そんな祖父が県内の総合病院に入院し、家を離れてから数か月。
祖父愛用の座椅子は、持ち主の帰りを待ちながらポツンと居間に置き去りになっていました。
僕はその座椅子を眺めながら、毎日積み木遊びに興じていました。
「よし、今年のクリスマスは、あんちゃんと弟にじいちゃんサンタがプレゼントやっからな。」
散歩に行った折、ニコニコしながら宣言する祖父のことを思い出し、ワクワクしながらクリスマスまで指折り数えていた僕。しかし、じいちゃんはいつまで経っても病院から帰って来ず、座椅子に座ることもないままクリスマス当日を迎えてしまいました。
訃報が届いたのは午後20時前。僕がクリスマスツリーを怪獣に見立て、ウルトラマンのごっこ遊びをしている時でした。
病院からの電話を受けた母が顔を真っ青にしながら、僕と生まれたばかりの弟を連れて車に乗りました。
「じいちゃんが、天国に行ったよ。」
母の言葉の意味が分からず、きょとんとする僕。
重苦しい車内。僕も母も、それ以降一言も口を聞きません。不思議なことに、弟も泣かずにすやすやと眠っていました。
病院に着くと、祖母が出迎えてくれました。
後でわかったことですが、今日が峠だと聞いていた祖母は、ずっと祖父の病室にいたのでした。
広い個室に入ると、仕事先から飛んできた作業着姿の父、それに近所に住む親戚の人達が神妙な顔でベッドを囲んでいました。
その中心にいる祖父の顔は真白く、死顔は眠っているかのように穏やかでした。
僕には祖父が亡くなったことが分からず、鼻に綿を詰めた姿に吹き出したり、「プレゼントは?じいちゃんは?」と言って、悲痛な面持ちの大人達の気を引こうとしました。
「静かにしねえか!じいちゃんは死んじまったんだぞ!」
祖母の兄で、祖父とは酒を飲み交わす仲だったおじさんに怒鳴られ、母に促されて病室を後にする僕。何故怒られたのか分からない僕は、病室の外の談話室でジュースを飲みながら、クリスマスツリーの飾りをボーっと眺めていました。
――― よし、今年のクリスマスは、あんちゃんと弟にじいちゃんサンタがプレゼントやっからな。
じいちゃんの言葉が脳裏を過った時、漸くもう祖父に会えないこと、じいちゃんサンタがプレゼントを持ってくる日は来ないことを悟りました。
12月25日。それは僕にとって、クリスマスであり、初めて「人の死」というものを知った日でもあります。
あの日から二十余年。じいちゃん、僕は元気に生きてます。車道を渡る時はちゃんと周りを確認しています。酒も飲めるようになったよ。好きな人も出来たよ。
僕がそっちに行ったら、一緒にお酒を飲みましょうね。